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「いただきます」は誰が言う?——アメリカの日系食卓で起きている、静かな世代交代

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「いただきます」は誰が言う?——アメリカの日系食卓で起きている、静かな世代交代

Photo: Russell Lee, Public domain, via Wikimedia Commons

午後6時、食卓に集まれるのは何人?

ロサンゼルス郊外のトーランスに住む田村恵子さん(68歳)の夕食は、今も午後6時きっかりに始まる。大阪から移住して40年、彼女の台所には毎晩、白米の炊ける匂いが漂う。「子どもたちが小さいころは、夕飯の時間に遅れたら怒ったものよ」と笑いながら話す恵子さんだが、今は夫と二人だけの食卓だ。娘の美香さん(39歳)一家は車で20分のところに住んでいるが、平日に顔を合わせることはほとんどない。

「向こうはむこうで忙しいから」と恵子さんはあっさり言うが、その言葉の裏にある寂しさは隠しきれない。美香さんの家庭では、夕食の時間はまちまちだ。夫(アメリカ人)の帰宅時間が読めず、子どもたちのサッカーの練習や習い事が重なると、家族全員がそろって食べられる夜は週に2〜3回あれば良いほうだという。

これは特別なケースではない。アメリカ各地の日系コミュニティを取材すると、「食卓の風景」が世代によって驚くほど違うことがわかってくる。

1世の食卓:「ルールがあること」が愛情だった

シアトルに住む中村義雄さん(74歳)は、1970年代に単身渡米し、日本食レストランを経営しながら3人の子どもを育てた。彼の家庭では、食卓のルールが明確だった。「いただきます」と「ごちそうさま」は必ず言う。食事中はテレビをつけない。残さず食べる。肘をつかない。

「日本で育った感覚を、そのままアメリカに持ってきた。それが家族をまとめるものだと思っていた」と義雄さんは振り返る。食卓は単なる「食事の場」ではなく、家族の結束を確認する儀式の場でもあったのだ。

移民1世にとって、食卓のルールを守ることは、異国の地で日本人としてのアイデンティティを保つ手段でもあった。白米、味噌汁、焼き魚——毎晩の和食は、「自分たちは日本人だ」という無言のメッセージだったかもしれない。

2世の食卓:和と洋のあいだで揺れる

義雄さんの娘、中村サラさん(44歳)はシアトル生まれの2世だ。夫はメキシコ系アメリカ人で、2人の子どもはスペイン語、英語、日本語が混じった環境で育っている。サラさんの食卓は、まさにその多文化ぶりを映し出している。

月曜はタコス、火曜は父から受け継いだ肉じゃが、木曜はパスタ——週ごとのメニューはバラエティ豊かだ。「いただきます」は今も言うが、「子どもたちに意味を説明するのが難しくて」と苦笑いする。「なんで言うの?」と聞かれたとき、「食べ物や作ってくれた人に感謝するため」と答えたら、「じゃあ英語でも言えばいいじゃん」と返ってきたという。

食事中のスマートフォン問題も、2世家庭では深刻だ。サラさんの家では「食事中はスマホ禁止」のルールを設けているが、徹底できていないのが正直なところ。「夫も私も仕事のメッセージが来ると、つい確認してしまう。子どもに言える立場じゃないよね」と苦笑する。

それでも、サラさんが譲らないことが一つある。「週に最低2回は、全員がそろって座って食べる」こと。父から受け継いだ、その一点だけは守り続けている。

3世の食卓:食べることは「体験」になった

ロサンゼルスに住む田村ケイ(21歳)は、冒頭で紹介した恵子さんの孫にあたる3世だ。大学生の彼女に「家での夕食」について聞くと、少し考えてから「ルームメイトと一緒に食べることが多いかな」と答えた。

ケイの食生活は、祖母世代とは根本的に異なる。食事はTikTokやInstagramで見つけたレシピを試す「体験」であり、友人とシェアする「コンテンツ」でもある。日本食に親しみはあるが、それは「おばあちゃんちの味」という郷愁的な感覚に近い。

「おばあちゃんが作る肉じゃがは世界一おいしい。でも毎日食べたいかというと……」と言いかけて、ケイは笑った。「でも最近、ちゃんと作り方を教えてもらおうと思ってる。なくなっちゃう前に」

その言葉が、取材を通じて最も印象的だった。失われる前に受け取ろうとする意識——それ自体が、新しい形の「継承」かもしれない。

食卓は変わっても、つながりへの願いは変わらない

世代を超えて取材してわかったのは、「食卓のかたち」は確かに変化しているが、「家族でつながりたい」という根本的な願いは、どの世代にも共通しているということだ。

恵子さんは毎週日曜、娘家族を自宅に招いて昼食を作る。美香さんは忙しい平日の代わりに、その日曜を「絶対に外さない」と決めている。ケイは祖母にレシピを教わるために、月に一度トーランスへ帰る。

「いただきます」の意味を英語で説明しながら、タコスと肉じゃがが並ぶ食卓で、3世代が笑っている——そんな風景の中に、日系アメリカ人の家族の今がある。

ルールは変わった。言語も、メニューも、時間も。でも、「誰かと一緒に食べたい」という気持ちだけは、どうやら国境も世代も超えていくらしい。

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