「頑張っても本社には届かない」——日系企業のアメリカ人社員が抱える、見えない天井の正体
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「昇進候補」なのに、何年も足踏み
ニュージャージー州の日系メーカーに勤めるケンジ・ホリウチさん(仮名・32歳)は、入社6年目にして今も「アソシエイトマネージャー」の肩書きを持ち続けている。営業成績はチームトップ、英語も日本語も流暢に話せる。それでも、上のポジションには毎回「日本から来るスタッフ」が就く。
「評価面談では必ず『期待している』と言われるんです。でも、実際に昇進するのはいつも日本本社から来た駐在員で。自分はずっとその『補佐』のポジションに収まっている感じがして…」
ホリウチさんの経験は、決して珍しいものではない。全米各地の日系企業で働くローカル採用の社員たちから、似たような声が上がっている。
「駐在員」と「現地採用」の間にある、見えない格差
日系企業のアメリカ拠点では、大きく分けて2種類の社員が混在している。日本本社から送り込まれる「駐在員」と、現地で採用された「ローカルスタッフ」だ。
問題は、この2つのグループが同じ職場にいながら、まったく異なるキャリアトラックを歩んでいることにある。駐在員は3〜5年で帰国し、本社でのキャリアを積む。一方、ローカルスタッフは現地に根を張りながら、意思決定の中枢からは距離を置かれることが多い。
カリフォルニア州サンノゼの日系IT企業でプロダクトマネージャーを務めるサラ・ナカムラさん(仮名・29歳)は、こう話す。
「会議で私が提案しても、最終的な決定は東京に持ち帰られる。英語で議論を進めているのに、どこかで日本語の空間が挟まって、そこで全部が決まっている感覚がある。透明なのに越えられない壁、みたいな」
「日本語が話せる」だけでは足りない時代
かつては「バイリンガルであること」が現地採用社員の最大の強みだった。しかし今、状況は変わりつつある。
日本語学習アプリの普及や、日系企業の英語公用語化の動きによって、言語スキルだけでの差別化は難しくなっている。むしろ、「日本的なビジネス文化を理解しながら、アメリカ流の交渉力を持つ人材」という、より複合的な能力が求められるようになってきた。
ヒューストンの日系商社に勤めるマーカス・タナカさん(仮名・35歳)は、MBAを取得した後に転職してきた経歴を持つ。
「入社前は、自分のスキルセットがかなり評価されると思っていた。でも実際は、『日本式の根回し』や『空気を読む文化』みたいなものに、ずっと適応を求められている。アメリカのビジネスで学んできたことが、逆に浮いてしまうことがある」
「本社転勤」という名の、遠い夢
日系企業で働くローカル採用社員の多くが一度は考えるのが、「日本本社への異動」という選択肢だ。実際、一部の大手日系企業は近年、現地採用社員を本社に登用するプログラムを設け始めている。
しかし現実は厳しい。ビザの問題、家族の生活基盤、そして「日本の職場文化への適応」という高いハードル。アメリカで育った日系人や、日本語を学んで就職した非日系の社員にとって、東京での勤務は「キャリアアップ」どころか、大きなリスクを伴う賭けになりかねない。
「本社に行けば視野が広がる、とは言われる。でも、日本の新卒一括採用の文化の中に、30代で飛び込む覚悟は正直ない」とホリウチさんは苦笑いする。
変わり始めた企業の姿勢
一方で、変化の兆しもある。パンデミック以降、リモートワークの普及によって「誰がどこにいても仕事ができる」という意識が広まり、本社と現地拠点の関係も少しずつフラット化しつつあるという声も聞こえてくる。
また、日本国内での人手不足を背景に、グローバル人材の確保を本気で考え始めた企業も増えている。東京本社に「グローバルHR」部門を設け、現地採用社員のキャリアパスを本社採用と統合しようとする動きも出始めた。
シカゴの日系金融機関に勤めるユイ・ヤマダさん(仮名・31歳)は、最近になって初めて「グローバルリーダー候補」のプログラムに選ばれたという。
「やっと、ここにいる自分たちのことを見てくれている、という感覚が持てた。遅すぎるとは思うけど、変わろうとしていることは伝わる」
「太平洋の壁」を乗り越えるために
日系企業とアメリカの人材市場の関係は、今まさに転換点を迎えている。多様性と包括性(DEI)を重視するアメリカ社会の価値観と、年功序列や本社中心主義という日本の企業文化——この2つの間で、現場の社員たちは日々、自分のキャリアを手探りで築いている。
「昇進のジレンマ」は、単なる個人の問題ではない。それは、グローバル化しきれていない日本企業の構造的な課題でもある。アメリカで働く若手たちの声に、日本の経営者たちはどこまで耳を傾けられるだろうか。
その答えが出るまで、太平洋の壁はまだしばらく、そびえ立ち続けるかもしれない。