補習校の先生たちはいま、スマホと戦っている——デジタル世代に日本語を教えるということ
サンフランシスコ郊外に住む田中美佐さん(43歳)は、毎週土曜日の朝、小学3年生の息子を日本語補習校に送り出す。でも最近、息子は行くのを嫌がるようになった。理由は単純だ。「漢字の書き取りがつまらない」というのだ。
「うちの子、家ではYouTubeで日本語の動画を見たり、日本のゲームをやったりしてるんですよ。なのに補習校では、ひたすら漢字をノートに書いて……そのギャップが、本人にはなかなか納得できないみたいで」と田中さんは苦笑いする。
これは、全米各地の日本語補習校が共通して抱えるジレンマだ。
全米に広がる補習校ネットワーク、その現実
現在、アメリカ国内には文部科学省が把握しているだけで150校以上の日本語補習校が存在する。ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、ヒューストン……日系コミュニティが根付いた都市には必ずといっていいほど補習校がある。その多くは土曜日だけ開校し、日本の教科書を使って国語、算数、理科などを教えている。
目的はシンプルだ。アメリカで育つ子どもたちが、日本の学校に戻ったとき、あるいは日本語を使う職業に就いたときに困らないよう、「日本語力」を維持させること。
だが、コロナ禍を経てその形は大きく揺らいだ。
ロサンゼルス近郊の補習校で10年以上教えているベテラン教師、中村誠さんは言う。「コロナでオンラインに移行したとき、正直、授業の質は落ちました。でも逆に気づいたこともあって。子どもたちって、画面越しでもデジタルコンテンツには食いつくんですよ。アニメのセリフを使ったり、Kahootみたいなゲーム形式にしたりすると、明らかに反応が違う」
「書けなくていい」vs「書けないと困る」
教育者の間でも意見は割れている。
ある保護者グループでは、「そもそも手書きで漢字を書く機会なんて、今の時代どれだけあるの?」という声が上がる一方で、「書けることで脳の発達が促される」「漢字を手で覚えることに意味がある」という反論も根強い。
ニュージャージー州の補習校で校長を務める林由美子さんは、そのバランスに頭を悩ませている一人だ。「文科省の指導要領は日本の子ども向けに作られていて、アメリカ育ちの子には正直ハードルが高い部分もある。でも、それを崩しすぎると、補習校としてのアイデンティティが失われてしまう気がして」
実際、補習校の中には独自カリキュラムを導入し始めたところも出てきている。タブレットを使った書き取り練習、日本語でのプレゼンテーション授業、オンラインで日本の子どもたちと交流するプログラムなど、試行錯誤が続く。
SNS世代が「日本語を使いたい」と思う瞬間
面白いのは、Z世代やα世代の子どもたちが「日本語を使いたい」と感じるきっかけが、昔と全然違うということだ。
アニメ、ゲーム、TikTok、K-POPの日本語カバー——コンテンツを通じて日本語に触れる機会は、むしろ増えている。でもそれは、補習校で教えられる「正しい日本語」とは微妙にズレていることも多い。
「うちの生徒が『推し』って言葉を使ってきたとき、最初ちょっと戸惑ったんですよね」と中村さんは笑う。「でも、それって彼らが日本語のカルチャーに主体的に関わってる証拠じゃないですか。そこを否定するんじゃなくて、むしろ入り口にしたほうがいいんじゃないかと思うようになった」
シアトルの補習校では、生徒が自分の「推し」について日本語でプレゼンする授業を取り入れたところ、参加率が大幅に上がったという報告もある。
ハイブリッド学習の可能性と限界
コロナ後、多くの補習校がハイブリッド形式——対面とオンラインを組み合わせた授業——を継続している。これは遠方に住む子どもたちや、週末のスケジュールが読めない家庭には朗報だ。
ただし課題もある。オンライン参加の子どもは、どうしても集中力が続きにくい。先生の目が行き届かない。グループワークがやりにくい。そして何より、「補習校に行く」という体験そのものが持つコミュニティ的な価値——友達と会う、日本語で遊ぶ、文化的なイベントに参加する——が薄れてしまう。
林校長は言う。「補習校って、勉強だけじゃないんですよ。日本のお正月を一緒に祝ったり、運動会をやったり、そういう経験が子どもたちのアイデンティティを育てる。それはオンラインでは代替できない」
「なんで日本語を勉強するの?」という問いに答えられるか
結局のところ、補習校の未来を左右するのは、子どもたち自身が「日本語を学ぶ意味」を感じられるかどうかだろう。
それは「日本に帰るかもしれないから」でも「親が日本人だから」でもなく、「日本語を使うことで、自分の世界が広がる」という実感だ。
デジタルネイティブな世代に、その実感を与えること。それがいま、補習校の先生たちに突きつけられている、もっとも難しくて、もっとも大切な問いなのかもしれない。
スマホと戦いながら、でも諦めずに教壇に立ち続ける先生たちを、私たちはもっと応援してもいいんじゃないかと思う。